3つの橋
初めての海外ひとり旅先は,ボスニア・ヘルツェゴヴィナでした.
どうしてもボスニア・ヘルツェゴヴィナへ行きたかった理由.
そこには気になる3つの橋がありました.
- ラテン橋
- スタリ・モスト(世界文化遺産)
- ドリナの橋(世界文化遺産)
私が訪れた2013年当時は,ボスニア・ヘルツェゴヴィナの世界遺産は2件のみ.
その2件ともに橋梁だったのです.
※2020現在は,中世墓碑ステチュツィの墓所群が追加され3件になっています.
上記世界遺産を含めた3つの橋を巡る旅の記憶を辿ります.
首都サラエヴォのラテン橋
1799年再建.石造4径間連続アーチ橋.
首都サラエヴォの中心市街を流れるミリャツカ川に架かる橋です.
現在はラテン橋と呼ばれていますが,かつてプリンツィプ橋と呼ばれた時期がありました.
1914年6月28日,ハプスブルク帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺されます.
場所は,橋北詰にある現在のサラエヴォ博物館の前.
その引き金を引いた青年の名前がプリンツィプでした.
この事件が直接の引き金となり,第一次世界大戦が勃発します.

このエピソードは,マシュー・ヴォーン監督による超過激キレッキレのノンストップスパイアクション『キングスマン』の3作目,国家に属さない世界最強のスパイ組織“キングスマン“誕生秘話でも描かれています.
ラテン橋の北東には,バシチャルシアという旧市街のメインストリートがあります.
オスマン帝国統治下にアラブのスークをモデルとして計画されたという,まさにトルコを思い出す町並み.
お土産屋さんやカフェが立ち並び,観光客で大変にぎわっていました.

初日の宿は,Holiday Inn Sarajevo.現在は,Hotel Holiday Sarajevoに名前が変わっているようです.
あのボスニア内戦中に唯一営業を続け,各国のジャーナリストが宿泊し,惨状を中継したホテル.
ボスニア初日は絶対にここに泊まろうと決めていました.

2013年当時は,フロントの明かりがついていなかったり,部屋のシャワーは出なかったりと宿泊施設として考えると決して満足のいくものではなかったが,過去の出来事を想像するだけで,私には泊まる価値のあったホテルです.
モスタルのスタリ・モスト
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの西部,ヘルツェゴヴィナ地方の中心地モスタル.
その町の名前は,ネレトヴァ川に架かるシンボルである橋(モスト)に因んでいます.
オスマン帝国支配下の1566年建造.
かの有名なミマール・スィナンの門下生ハイルディンの手によります.
支間長28.7m,全幅4.49m,渇水期の水面からの高さ21m[1].
重さを克服しすっと空へ延びる白く美しいアーチ橋です.
[1]建設コンサルタンツ協会 Consultant Vol.250
ボスニア内戦時,1993年11月9日,クロアチア人勢力により橋が爆破されます.
現在の橋は,2004年に再建されたもの.
その翌年に「モスタル旧市街の古い橋の地区」の名で世界遺産に登録されました.

2013年当時は,ネレトヴァ川の東側にムスリム人,西側にクロアチア人と住みわけが行われており,西側にあったガラスアート屋さんの綺麗なお姉さんに進められ,ブラガイという町へも行ってみました.
ブナ川の源流があり,イスラム教の聖地としても栄えた静かな町です.
美しく澄んだ冷たい川のほとりで頂くマスのランチはとても美味しいものでした.量は多かったけれども.

ブラガイの丘の上にはスターリ・グラッドと呼ぶ城塞跡があります.
車では登れない,麓から城塞跡までは徒歩で往復1時間程度かかるのですが,
人通りはほとんどなく,一人で行くのは避けられた方がよいと思います.
私は女一人で昼間に登ったのですが,心臓の止まる思いをしましたので...
ヴィシェグラードのドリナの橋
ソコルル・メフメト・パシャ橋.世界遺産.
ボスニアとセルビアとの国境をなすドリナ川上流の町ヴィシェグラードに架かる橋.
名前の通り,ボスニア出身の大宰相ソコルル・メフメト・パシャの命により,オスマン帝国の宮廷建築家だったミマール・スィナンが手がけた美しい橋です.
1577年建造.石造11径間連続アーチ橋.

ヴィシェグラード出身のノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの作品「ドリナの橋」には,この橋の建設から第一次世界大戦にて破壊されるまでの400年の歴史が紡がれています.
少年時代に母から引き離され,橋のないドリナ川を渡り強制徴用された大宰相の記憶,困難を極めた橋の建設,橋の完成後に時代とともに移り変わる人人の暮らしを,悠悠と存在するドリナ川と橋とが見つめるとても静かな物語です.

書いているうちにもう一度読み返したくて仕方がなくなってきました.
宿泊は,橋に面したその名も「ヴィシェグラード」というホテルにしました.
ホテルのレストランでは,橋を見ながらセルビア系の料理を頂くことができます.

2013年当時は,部屋のシャワールームの排水溝が詰まっていたりと設備はあまりよくはなかったのですが,レストランの人たちを含めて従業員がみな優しいホテルでした.
旅のルート
2013年8月9日
12:40 NRT→17:45 MUC ルフトハンザ
ミュンヘンのホテルに宿泊.
2013年8月10日
11:05 MUC→12:25 SJJ ルフトハンザ
サラエヴォ観光.
Holiday Inn Sarajevoに宿泊.
2013年8月11日
06:40 サラエヴォ→09:30 モスタル 列車で移動
モスタル観光.
Motel Demadinoに宿泊.
2013年8月12日
ブラガイ観光.
Motel Demadinoに宿泊.
2013年8月13日
07:55 モスタル→10:30 サラエヴォ 列車で移動
11:30 サラエヴォ→12:30 ヴィソコ バスで移動
ピラミッド観光
16:00 ヴィソコ→17:00 サラエヴォ バスで移動
名前を忘れたホステルに宿泊.
2013年8月14日
08:40 サラエヴォ→11:30 ヴィシェグラード バスで移動
ヴィシェグラード観光.
Visegradに宿泊.
2013年8月15日
13:30 ヴィシェグラード→16:30 サラエヴォ バスで移動
オリンピックスタジアム観光.
CM & CITY MASICに宿泊.
2013年8月16日-17日
13:10 SJJ→14:40 MUC ルフトハンザ
16:00 MUC→10:25 NRT ルフトハンザ
次回旅行時は,セルビア→ボスニア・ヘルツェゴヴィナ→クロアチアと辿るのもよいなと考えています.
旅の持ち物
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ旅行へ持っていった本
旅の服装
旅のサブバッグ
旅の持ち物
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また行きたいボスニア・ヘルツェゴヴィナ
駆け足で辿った,ボスニア・ヘルツェゴヴィナの旅の記憶は楽しんでいただけましたでしょうか.
当時の日記を読み返していると,また行きたくなってきました.
世界を自由に行き来できる日が戻った暁には,旅行先の選択肢の一つとしてボスニア・ヘルツェゴヴィナを思い出していただけると嬉しいです.
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