旧ユーゴ連邦を構成した共和国の一つボスニア・ヘルツェゴビナ.
オスマン帝国時代の面影を残す旧市街や,中世の面影を残す田園地帯の美しい国です.
本記事では,ボスニア・ヘルツェゴビナの魅力を,世界遺産の橋梁を中心に紹介いたします.
ボスニア・ヘルツェゴビナで訪れるべき橋3選
ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産は,2022年現在で4件登録されており,そのうち2件が橋梁です.
最初に登録されたのは,「モスタル旧市街の古い橋の地区」(世界文化遺産,2005年登録).
続いて,「ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋」(世界文化遺産,2007年登録)が登録されました.
そして,世界遺産ではありませんが,歴史的事件により世界的に有名となった「ラテン橋」.
- ラテン橋
- スタリ・モスト(世界文化遺産)
- ドリナの橋(世界文化遺産)
この絶対に訪れるべき3つの橋を紹介いたします.
首都サラエヴォのラテン橋
1799年再建.石造4径間連続アーチ橋.
首都サラエヴォの中心市街を流れるミリャツカ川に架かる橋です.
現在はラテン橋と呼ばれていますが,かつてプリンツィプ橋と呼ばれた時期がありました.
1914年6月28日,ハプスブルク帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺されます.
場所は,橋北詰にある現在のサラエヴォ博物館の前.
その引き金を引いた青年の名前がプリンツィプでした.
この事件が直接の引き金となり,第一次世界大戦が勃発します.
このエピソードは,マシュー・ヴォーン監督による超過激キレッキレのノンストップスパイアクション『キングスマン』の3作目,国家に属さない世界最強のスパイ組織“キングスマン“誕生秘話でも描かれています.
バシチャルシア広場
ラテン橋の北東には,バシチャルシアという旧市街のメインストリートがあります.
オスマン帝国統治下にアラブのスークをモデルとして計画されたという,まさにトルコを思い出す町並み.
お土産屋さんやカフェが立ち並び,観光客で大変にぎわっていました.
ボスニア紛争中に唯一営業を続けたホテルHoliday Inn Sarajevo
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に唯一営業を続け,各国のジャーナリストが宿泊し,惨状を中継したホテル.
ボスニア初日は絶対にここに泊まろうと決めていました.
2013年当時は,フロントの明かりがついていなかったり,部屋のシャワーは出なかったりと宿泊施設として考えると決して満足のいくものではなかったですが,過去の出来事を想像するだけで,私には泊まる価値のあったホテルです.
※現在は,Hotel Holiday Sarajevoに名前が変わっているようです.
モスタルのスタリ・モスト
ボスニア・ヘルツェゴビナの西部,ヘルツェゴビナ地方の中心地モスタル.
その町の名前は,ネレトヴァ川に架かるシンボルである橋(モスト)に因んでいます.
オスマン帝国支配下の1566年建造.
かの有名なミマール・スィナンの門下生ハイルディンの手によります.
支間長28.7m,全幅4.49m,渇水期の水面からの高さ21m[1].
重さを克服しすっと空へ延びる白く美しいアーチ橋です.
[1]建設コンサルタンツ協会 Consultant Vol.250
ボスニア紛争時,1993年11月9日,クロアチア人勢力により橋が爆破されます.
現在の橋は,2004年に再建されたもの.
その翌年に「モスタル旧市街の古い橋の地区」の名で世界遺産に登録されました.
水が美しいブラガイ
2013年当時のモスタルは,ネレトヴァ川の東側にムスリム人,西側にクロアチア人と住みわけが行われており,西側にあったガラスアート屋さんの綺麗なお姉さんに進められ,ブラガイという町へ行ってみました.
ブナ川の源流があり,イスラム教の聖地としても栄えた静かな町です.
美しく澄んだ冷たい川のほとりで頂くマスのランチはとても美味しいものでした.量は多かったけれども.
ブラガイの丘の上にはスターリ・グラッドと呼ぶ城塞跡があります.
道が狭いため車では登ることができず,麓から城塞跡までは徒歩で往復1時間程度かかります.人通りはほとんどなく,一人で行くのは避けられた方がよいと思います.
私は女一人で昼間に登り,心臓の凍り付く体験をしたので...
しかし,眺望はとても素晴らしいため,複数名で行かれる場合は登ってみましょう.
ヴィシェグラードのドリナの橋
ソコルル・メフメト・パシャ橋.世界文化遺産.
1577年建造.石造11径間連続アーチ橋.
ボスニアとセルビアとの国境をなすドリナ川上流の町ヴィシェグラードに架かる美しい橋です.
その名前の通り,ボスニア出身の大宰相ソコルル・メフメト・パシャの命により,オスマン帝国の宮廷建築家であったミマール・スィナンが手掛けました.
ヴィシェグラード出身のノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの作品「ドリナの橋」には,この橋の建設から,第一次世界大戦にて破壊されるまでの400年の歴史が紡がれます.
少年時代に母から引き離され,橋のないドリナ川を渡り強制徴用された大宰相の記憶,困難を極めた橋の建設,橋の完成後に時代とともに移り変わる人人の暮らしを,悠悠と存在するドリナ川と橋とが静かに見つめる物語です.
宿泊は,橋に面したその名も「ヴィシェグラード」というホテルにしました.
ホテルのレストランでは,橋を見ながらセルビア系の料理を頂くことができます.
2013年当時は,部屋のシャワールームの排水溝が詰まっていたりと設備はあまりよくはなかったのですが,レストランの人たちを含めて従業員がみな優しいホテルでした.
旅のルート
2013年8月9日
12:40 NRT→17:45 MUC ルフトハンザ
ミュンヘンのホテルに宿泊.
2013年8月10日
11:05 MUC→12:25 SJJ ルフトハンザ
サラエヴォ観光.
Holiday Inn Sarajevoに宿泊.
2013年8月11日
06:40 サラエヴォ→09:30 モスタル 列車で移動
モスタル観光.
Motel Demadinoに宿泊.
2013年8月12日
ブラガイ観光.
Motel Demadinoに宿泊.
2013年8月13日
07:55 モスタル→10:30 サラエヴォ 列車で移動
11:30 サラエヴォ→12:30 ヴィソコ バスで移動
ピラミッド観光
16:00 ヴィソコ→17:00 サラエヴォ バスで移動
名前を忘れたホステルに宿泊.
2013年8月14日
08:40 サラエヴォ→11:30 ヴィシェグラード バスで移動
ヴィシェグラード観光.
Visegradに宿泊.
2013年8月15日
13:30 ヴィシェグラード→16:30 サラエヴォ バスで移動
オリンピックスタジアム観光.
CM & CITY MASICに宿泊.
2013年8月16日-17日
13:10 SJJ→14:40 MUC ルフトハンザ
16:00 MUC→10:25 NRT ルフトハンザ
次回旅行時は,セルビア→ボスニア・ヘルツェゴヴィナ→クロアチアと辿るのもよいなと考えています.
旅の持ち物
ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行へ持っていった本
旅の服装
旅のサブバッグ
また行きたいボスニア・ヘルツェゴビナ
世界遺産を含めた美しい3つの橋を有するボスニア・ヘルツェゴビナ.
人人も親切で,当時の日記を読み返していると,また行きたくなってきました.
オスマン帝国時代の面影を残す旧市街や,中世の面影を残す田園地帯の美しい国を,次回旅先の選択肢の一つとして思い出していただけると嬉しいです.
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