2011年岩手県の旅の思い出

旅先で立ち寄った施設の入場券など,紙類は取りあえず持ち帰って保管していました.

しかし,それらを見返すことなど今まで一度もなかったため,引っ越しを機に勢いで手放している最中です.

その中に,2011年に岩手県を訪れた際に持ち帰った紙類がありました.

色色と思うところがあり,初めての一人旅.
とても処分できそうもなかったので,ここにまとめておこうと思います.

一人旅のきっかけ

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震.
当時私は栃木県に住んでおり,その何日か前から,最近地震が多いなぁと話していたところでした.

地震発生時,最初は大きな横揺れがゆっくりと続き,これは危ないかもしれないぞと皆で会議机の下に身を隠した瞬間,ゴゴゴーッという強い揺れ.

落ちてきた天井の重さに大机の足が徐々に開いて行き,皆でその足を内側に引っ張り,懸命に支えました.

一旦揺れが収まり,屋外へ避難しようと机の下から這い出た瞬間に見た,一瞬で瓦礫の山となった光景に,これはきっと悪い夢を見ているに違いないと暫く呆然とし,ただ立ち尽くしていたことを覚えています.

当日は停電しており,翌日スマホの充電をするために立ち寄った友人宅で見たテレビのあの津波の映像に,さらに事態の深刻さを思い知りました.

半月程は自宅待機が続き,その後は栃木に残りながら会社の復旧を手伝う者,各地の施設に散らばり仕事を続ける者に振り分けられ,私は後者で埼玉県にて仕事を続けました.当初は半年程度と言われていた埼玉県生活でしたが,栃木の復旧作業の進展により,結果2ヶ月で栃木の職場へ戻りました.

夏場の供給電力不足への懸念により,会社は休日を木・金曜日へ振り替えて対応.

それが通常勤務へと切り替わる2011年9月末,振り替え休日の木・金曜日と通常の休日である土・日曜日の4連休となるタイミングでやっと,岩手県へ行こうと思いました.

初めての一人旅.
仙台よりも北へ行くのも初めてでした.

平泉

中尊寺【世界文化遺産】

天台宗東北大本山.
嘉祥3年(850),比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁を開山とします.

12世紀初め,奥州藤原氏初代清衡公が前九年・後三年の合戦で亡くなった命を敵味方の区別なく平等に供養し,仏国土を建設するため大伽藍を造営しました.

国宝金色堂は,天治元年(1124)の造立で現存する唯一の創建遺構.
堂の内外に金箔を押してある皆金色の阿弥陀堂は,現在では鉄筋コンクリート造の建屋で覆われています.

堂内の装飾は圧倒的で,螺鈿細工,蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金で荘厳され,平安仏教美術の最高峰をなしています.

中央の須弥壇のなかに清衡公,向かって左の壇に二代基衡公,右に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が納められています.

俳聖・松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出て平泉を訪れたのは元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日),奥州藤原氏の滅亡から500年後のことでした.

平泉では二つの句を残しており,その一つが金色堂を詠んだものです.

五月雨の 降り残してや 光堂

松尾芭蕉

高館義経堂(たかだちぎけいどう)

高館は北上川に面した丘陵で,判官館とも呼ばれています.
源義経が三代秀衡公より居館を与えられた地であるため,このように呼ばれているようです.
そして,四代泰衡公の急襲にあい,この地で妻子とともに自害したと伝えられています.

高館からの眺望は,平泉随一といわれ,東に北上川と束稲山が見えます.

松尾芭蕉は高館に立ち,もう一つの句を詠んでいます.

夏草や 兵共が 夢の跡

松尾芭蕉

毛越寺【世界文化遺産】

天台宗別格本山.
中尊寺と同じく,嘉祥3年(850),比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁を開山とします.

奥州藤原氏二代基衡公と三代秀衡公が金堂円隆寺,嘉祥寺など壮大な伽藍を造営し,その規模は堂塔40,僧坊500を数え,中尊寺をしのぐほどの規模であったと言われています.

残念なことに当時の建物は全く残っていませんが,現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており,国の特別史跡,特別名勝の二重の指定を受けています.

庭園の作者は不明ですが,日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を伝える池庭です.

また,毛越寺に伝承される延年の舞は,開山以来連綿と行われてきた常行三昧供の修法とあわせて国の重要無形民俗文化財に指定されています.

私が訪れたときは誰一人おらず,静かで広大な庭園はとても心落ち着く場所で,陽が沈むのをただただ眺めて座っていました.

ソウル食堂

宿の人に教えていただいたのか,たまたま前を通りかかったのかはもう忘れてしまいましたが,夕食は「ソウル食堂」さんにて頂きました.

焼肉屋さんですが,何を頂いたのかも覚えていません.
ただ,お客が私一人だったせいか,ご主人と奥様がとても気さくにお話をしてくださったことを覚えています.

翌日の予定は特に決めておらず,どこかおすすめの場所はないかと尋ねたところ,秋田県との県境にある「須川高原温泉」がいい湯だよー,バスも出ていて一人でも行けるよー,最高だよーということで,翌日の予定が決定.

須川高原温泉

栗駒山の北方,剣岳の北嶺に位置する須川高原温泉は,徳川時代より湯治場として親しまれています.

湧出量は毎分6,000リットルの源泉かけ流し,強酸性のみょうばん緑ばん泉.胃腸病,婦人病,呼吸器病などに優れた効果があるようです.

一ノ関駅9時発のバスに乗り,約1時間30分で到着.

帰りのバスは15時出発なので,休憩室でゆっくりと過ごしました.
昼食は何を食べたか覚えていない.

栗駒山登山の基地にもなっているため,次回は登山で利用したいなぁと思っています.

釜石

釜石線(銀河ドリームライン)は通常運行しており,21時30分頃に釜石へ到着.俳優の吉沢悠さん似の駅員さんに市街への道を聞いたことを覚えています.

市街の商店街は壊れたままの店舗や道路,潮のニオイ,現実を思い知り立ちすくむ.

宿泊先の「ホテルサンルート釜石」は,停電の中で一部営業してくださっていました.

大船渡

大船渡の空
大船渡の空

釜石で一泊した後,バスで大船渡へ向かいました.
まだJR大船渡線が復旧しておらず,バス代行となっています.

海岸沿いをずっと走りました.快晴で海は静かでリアス式海岸が美しい.見渡す限りの青でした.海辺の途中途中に,破壊された校舎らしきもの,集められた瓦礫の山が見られ現実に引き戻されます.

大船渡に到着後,ボランティアセンターで個人の受付をしてボランティア活動に参加,住宅や街の掃除を行いました.
そこで感じたことは,今回は直接的に被災しなかった人たちに求められるのは,専門的な支援,長期的な関わりなんだなと.

海辺をずっと歩きました.瓦礫の山でした.

線路はまだ水に浸かっていました.写真を撮るのにも気が引けて,人のいないところで隠れるように少しだけ撮りました.震災後初めて津波浸水警戒地区にローソンがオープンした日でした.

天気はとてもよく,しかし風の冷たい日でした.こんな状態のまま長い冬に突入しようとしています.想像するだけで涙が止まらなかった.

夕食は,「中華英よし」さんにて頂きました.
いつもの通りビールを頼み,後は何を食べたか覚えていません.

翌朝,バスで一ノ関へ戻りました.
途中の陸前高田にて,太陽は東から昇るんやなぁと改めて実感したことを覚えています.

旅のルート

2011年9月29日
宇都宮→平泉 JRで移動
平泉観光
「舞鶴荘」に宿泊.
※現在は,「旅館 舞鶴」に変わっているようです.

2011年9月30日
09:00 一ノ関駅→10:34 須川温泉 バスで移動
須川高原温泉観光
15:00 須川温泉→16:26 一ノ関駅 バスで移動
18:29 一ノ関→21:30頃 釜石 釜石線(銀河ドリームライン)
「ホテルサンルート釜石」に宿泊.

2011年10月1日
06:53 釜石→大船渡 バスで移動
ボランティア活動
「つつみ旅館」に宿泊.
※宿探しの際,5番目に電話してやっと営業されていた宿.

2011年10月2日
05:42 大船渡→08:05 一関 バスで移動

また行こう

初めての一人旅はとにかく寂しくて,写真もほとんど残っていません.
少ない資料と写真と友人らとのTwitterなどのやり取りを見返しながら,所用時間などを割り出してみました.

また行こうと思います.

お付き合いいただきましてありがとうございました.

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