
奈良の観光名所である奈良公園の北側,閑静な地に水平に広がる煉瓦造があります.
明治期に国家の威信をかけて造られた奈良監獄.
その役目を果たした名煉瓦建築は,2024年夏の開業を目指してホテルに改修されることが決定されています.
本記事では,2022年9月に訪れた改修前の貴重な姿を写真とともに紹介いたします.
旧奈良監獄の概要

基本情報
1908年(明治41年)竣工.
監獄施設の近代化を目指して作られた,煉瓦造の大建築です.
明治政府にとって,監獄施設の整備は喫緊の課題でした.幕末にアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスと結ばれた不平等条約の改正には,日本が欧米諸国と肩を並べることができる法治的な近代国家であることを,諸外国に示さねばならなかったのです.
そこで,政府は国際的水準に到達するような監獄施設の建設に着手.明治28年に,総煉瓦造の巣鴨監獄が完成します.その後,地方の負担とされていた監獄費を国費で賄うことが決定.内務省は第1期監獄改築計画を策定し,後に「明治五大監獄」と呼ばれる千葉・長崎・金沢・鹿児島・奈良の監獄署の改築が立案されました.
この「明治五大監獄」を設計したのは,司法技師であった山下啓次郎です.
帝国大学工科大学造家学科卒,奈良ホテル本館を設計した辰野金吾に建築を学んでいます.警視庁技師を経て司法技師となり,司法省営繕業務に携わります.明治34年には,欧米8ヶ国を歴訪して約30の監獄建築を視察.多くの裁判所,監獄の建設に関与し,監獄の近代化に尽力されました.
彼の孫でジャズピアニストの山下洋輔さんは,祖父の軌跡を一冊の本にまとめています.
1946年(昭和21年),「奈良少年刑務所」と改称され,戦後の混乱期に起こった少年犯罪への対応に注力することとなります.
以降,若年の初犯受刑者を収容する少年刑務所の一つとして,受刑者の改善更生と社会復帰に向けた矯正処遇を積極的に展開してきました.昭和39年には少年刑務所として初めて総合職業訓練施設に指定されています.敷地内の「若草理容室」は,訓練を受けた受刑者が職員や地域住民の散髪を行い,その後の社会復帰を円滑に送ることができるよう大いに貢献したといいます.
2017年3月(平成28年度末),建物の老朽化に伴い廃庁.意匠的に優秀であり,歴史的価値が高いとして重要文化財に登録されました.
明治五大監獄のうち他の4つの監獄は,門扉以外は取り壊しが行われています.奈良監獄は,改修工事を経て,星野リゾートを運営者とした日本初の「監獄ホテル」として生まれ変わることが計画されています.
アクセス
〒630-8102 奈良県奈良市般若寺町18
- 近鉄奈良駅より タクシー約5分
- JR奈良駅より タクシー約8分
表門

明治41年竣工.
軒周りのロンバルディア帯は,ロマネスク様式に由来している.
アーチ型の入り口と,丸窓と周囲の装飾,両脇の円塔のドームなどはルネサンス的.
れんがは長手だけの段,小口だけの段と一段おきに積むイギリス積み.
庁舎

明治41年竣工.
軒周りは表門と同様にロンバルディア帯をめぐらす.
中央には,銅板造りの屋根が特徴的な尖塔が配置され,尖塔の上部には避雷針が設置されている.
講堂

600人以上の受刑者を収容することができる.
通信制高校の入学式,講演,慰問等に使用されたほか,雨天時の運動場としても使用されていた.
中央看守所

庁舎後方にある舎房は,「第一寮」から「第五寮」までの5棟からなり,「中央看守所」を中心として45度の角度を付けて放射状に配される.
中央看守所から全ての舎房を見渡すことができ,少ない職員で舎房を管理することができる合理的な構造は,イギリス生まれの建築家ジョン・ハビランドが確立した「ハビランド・システム」を取り入れている.

収容棟

明治41年竣工.
煉瓦造切妻造り2階建.第一寮から第四寮の単独室と第五寮の共同室とで合計約500の居室がある.
天井には明かり取りの大きな天窓が取り付けられ,2階廊下中央の床スラブを抜いており,1階まで見通すことができる.
人が多く歩く場所には,耐摩耗性に優る花崗岩が使用されている.

重屏禁房

規律及び秩序に違反する行為をした受刑者を屏居させ,罰室を暗くして臥具を与えない懲罰が行われた部屋.人1人が立っていられるほどの円筒形をしているため「マル房」と呼ばれる.マル房の内側は黒く塗られており,どのように書いたのか落書きも見られる.

独居房

1人部屋.
建設当時から使われている木製の重厚な扉には,監視窓や食器口が設けられている.


雑居房

当初は3人部屋であったが,現在の共同室は6人部屋で25㎡程度の広さがある.
実習場

寮から直接行くことができる実習場では,出所後に円滑な社会生活を送ることができるよう,左官や建築などの実習が行われていた.
この建物の屋根組みに見られるクィーンポストトラスは,日本の伝統的な家屋と比べて細く,少ない木材で建てられる合理的な方法.構造部材には,受刑者が建築を学ぶための「陸梁」「合掌」といった部材の名称が貼られている.
医務所

明治41年竣工.
煉瓦造,切妻造り平屋建で,棟中央に八角の高屋根を冠して採光を図っている.
開口部上部は欠円アーチ.妻面には円形のニッチを設け,花崗岩の要石を配してアクセントとしている.


隔離病舎

明治41年竣工.
煉瓦造寄棟造り平屋建て.敷地の北縁に独立して置かれている.
南側を正面として櫛形アーチを持つ入り口を開き,4つの角にはバットレスを突出させている.
精神疾患者が大声を出したり,暴れたりした場合に,隔離するのに使用された.
牢舎(ギス監)

隔離病舎の近くには,牢舎が2棟置かれている.
奈良奉行所の屋内にあった牢舎で,明治期の司法の近代化を表す資料として移築された.
キリギリスを入れる虫籠に似ていることから,「ギス監」と呼ばれた.
まとめ

明治五大監獄のうち,門扉以外の建築を唯一残した奈良監獄は,改修工事を経て,日本初の「監獄ホテル」に変わることが決定されています.
明治期に国家の威信をかけて造られた奈良監獄の歴史を保存し,良い形で未来に残されることを期待します.
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